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カツラの葉っぱ 大好き!

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ピケティさんの世界R1

来日したピケティ<ピケティさんの世界R1>
来日したピケティさんの言動には、安部さんも警戒していたそうだが(笑)・・・
この際、ピケティさんについてあれこれ集めてみます。

・広がる中国の格差
・討論会「格差・税制・経済成長 『21世紀の資本』
・安部さんも警戒
・朝日の(ひと)コラムより
・「21世紀の資本」の中国での読まれ方
・失われた平等を求めて

ピケティ

R1:「広がる中国の格差」を追加


<広がる中国の格差>
ピケティさんが中国の格差に言及しています。
果たして、中国の共産党王朝はいつまで持ちこたえるか?と大使は思うのである。

2017/02/22(ピケティコラム)広がる中国の格差 西洋に学ばないとしてもより
 「トランプ」と「ブレグジット(英国のEU離脱)」で、西洋の民主主義モデルが失速している。中国メディアはこの状況に大喜びだ。「環球時報」(中国共産党機関紙・人民日報系の国際情報紙)は何段にもわたって、ナショナリズム、排外主義、分離主義、リアリティー番組、俗悪さ、拝金主義をないまぜにして危険な状態だと告発している。それらは西洋が世界に押し付けたがる「自由選挙やすばらしい政治制度」が行きつく先であって、お説教はもう結構だ、と。

 中国当局は最近、「グローバル経済ガバナンスにおける政党の役割」についての国際シンポジウムを開いた。この機会に中国共産党が発したメッセージはまったく明快だ。中国共産党は9千万人の党員を擁し、成人人口の約10%に相当するが、これは米国やフランスの大統領選候補者選びへの参加率に匹敵するもので、このような堅固な媒介機関をよりどころにするからこそ、審議し決定をすることが可能となり、アイデンティティーに左右されることなく、安定し調和がとれ考え抜かれた成長モデルを構想することもできる、と言いたいのだ。
 *
 このようなふるまいで、中国は自信過剰という誤りに陥っているのではないか。中国モデルの限界はよく知られている。第一に透明性が全くなく、体制の不透明さを非難する人びとを容赦なく抑圧することが挙げられる。
(中略)

 中国の平均収入がいまだに欧州や北米の3分の1~4分の1だとしても、上位10%の富裕層、つまり1億3千万もの人々は、富裕国に等しい平均収入を手にしているのだ。

 問題は、下位50%の所得層での所得の伸びが、平均の2分の1だったことだ。私たちの推計は中国の不平等の下限と考えるべきだが、それでも国民所得における下位50%のシェアは、1978~2015年に28%から15%にまで落ちた一方、上位10%の富裕層のシェアは26%から41%に上昇した。この格差の広がりは衝撃的だ。中国社会の不平等のレベルは、明らかに欧州のレベルを超え、猛烈な勢いで米国のそれに近づいているのだ。
(中略)

 中国では、不動産、企業、土地、インフラ、施設など(公的資本と民間資本の総和である)国民資本のうち国の持ち分が、大幅に減ったとはいえ、いまだに大きい。私たちの推計によれば、1978年にはこうした公的資本は国民資本の70%に相当しており、2006年以降は30%程度に落ち着いているものの、経済危機以降は若干上昇すらしていて、公的企業の復活がうかがえる。

 それに対して資本主義国では、公的資本の割合は1950~80年までの(公営企業と私営企業が混在した)混合経済時代にはだいたい20~30%だったが、80年以降に公共資産が民営化され、負債が増えるにつれてこの数字は急落した。2007年時点では負債が資産を上回って公的資本がマイナスだったのは、イタリア一国だけだった。それが2015年には、米国、英国そして日本もマイナスになる(フランスとドイツの公的資本はかろうじてプラスである)。言い換えると、民間資産の所有者が国民資本の全てを保持するだけでなく、将来の税収を引き出す権利をも有するということだ。これは政府の財政統治能力に重大な制限をかけることになる。

 中国政府の情勢は、それよりは前途有望だ。ただし、その可能性を大多数の人々のために役立てられるということを当局が証明すればの話だ。もはや中国の人々は西洋から教えられることを望んではいない。だがその一方で、最高指導者たちの説教にずっと我慢できるかどうかも




<討論会「格差・税制・経済成長 『21世紀の資本』>
1月30日のピケティ討論会で、ピケティさんは、アベノミクスは不誠実として批判しています。

2015.2.16【ピケティ】討論会「格差・税制・経済成長 『21世紀の資本』の射程を問う」より
  (1)討論会「格差・税制・経済成長 『21世紀の資本』の射程を問う」
 主催:(公財)日仏会館と日仏会館フランス事務所
 期日:1月30日(金)
 場所:東京・日仏会館

 (2)ピケティ教授が語るところによれば、
   ・米国は1920年代よりも現在の方が、富の集中が高い水準で上位4%の人に集中している。
   ・1980年代に、「日本やドイツに抜かれるのではないか」という危機感を持ったレーガン政権が富裕層への所得税率を下げるなどしたことから格差が拡大してきた。  
   ・レーガン政権の選択は正しくなかった。あまりに不平等だとイノベーション(革新)に役立たない。
   ・欧州でも経済格差は拡大しているが、米国ほどではない。
   ・日本の格差は米国と欧州の中間ぐらいである。
   ・資産の世襲の割合は、米国より日本や欧州の方が高い。

 (3)橘木俊詔・京都大学名誉教授(経済学)も、
   ・先進国で貧困率が一番高いのは17%の米国だ。
   ・日本は世界で2番目の貧困大国だ。15%の人が貧困にあえいでいる不平等な国だ。

 (4)ピケティ教授はさらに語る。
   ・格差はお金だけでなく、アイデンティティも失わせる。
   ・格差拡大に対する解決策は、さまざまな形の再分配があるが、累進課税の強化を推す。

 (5)橘木名誉教授→ピケティ教授との質疑応答
 【橘木】日本は福祉を家庭に押し付けてきたが、今後は北欧のような福祉国家をめざして消費税率を25~30%にしていくべきだと思うか?
 【ピケティ】消費税率を上げることには反対だ。日本の税制については、高齢者と若い人の世代間のリバランス(再均衡)をすることが大切だ。若い世代は相続資産がなければ、労働所得はわずかで賃金は上がらないまま、財産形成をすることができない。

 (6)日本では、ピケティ教授がアベノミクスを評価しているのか否かという議論がある。
 竹信三恵子・ジャーナリスト/『ピケティ入門』(週刊金曜日、2014)の著者によれば、
   ・安倍晋三・首相やアベノミクス支持者は、ピケティが経済成長を否定しないことで評価されたと強弁している。
   ・しかし、ピケティの主張の重点は成長ではなく、成長の成果を再分配する仕組みの強化だ。
   ・安倍首相らの、焦点ずらしの曲解による世論誘導は不誠実だ。  

 (7)『21世紀の資本』では、世界的に広がる経済格差を解消するため、富裕層の資産に対して国境を越えた「世界的累進課税」の導入を提案している。
 この提案に対して、安倍首相は1月28日、参議院本会議で「導入に当たって執行面で難しい」と答弁した。
 (1)の討論会でも、会場から「世界的累進課税」の導入は「実現可能だと思うか」と質問があった。
 これに対し、ピケティ教授は「実現可能だ」と言い切った。「不動産には財産税がかけられているが、なぜ金融資産にはかけられないのか。税金は数百年以上前に導入されたが、当時の資産は不動産だった。それを変えてこなかった」と、世界的に金融の透明性を高めていく必要性を語った。




<安部さんも警戒>
来日していたピケティさんの言動には、安部さんも警戒していたそうです。
そのあたりについて朝日の報道を見てみましょう。

2015/02/03ピケティ論争、日本白熱 格差拡大に警鐘「21世紀の資本」 高所得層が強い関心より  
 世界的な格差拡大に警鐘を鳴らす「21世紀の資本」の著者、トマ・ピケティ氏が4日間の日本滞在を終えて帰国した。講演や記者会見、学生とのやりとりを通じて問題の深刻さと解決に向けた取り組みを訴えた。その言葉は、日本の格差論議を揺さぶっている。

 1月30日午後、ピケティ氏は動画配信サイト「ニコニコ生放送」に出演。「成長のために格差は許容すべきか」などの質問に答えた。15分ほどの放送時間に寄せられたコメントは、約6千件。20~30代の若い世代を中心に、録画も含め約1万7千人が視聴した。

 ブームについて、日本語版の訳者の一人、山形浩生氏は「特に所得が上位の層が強い関心を持っているようだ」と指摘する。「これから転落するかも、と思っているのかもしれないし、自分たちだけが富むのはいけないと感じているのかもしれない」

 とりわけ注目されたのが、資産の格差が世襲により固定化するとの主張だ。朝日新聞などが主催したシンポジウムでも、ピケティ氏は「世襲社会が戻ってきている」と訴えた。日本側の登壇者からは、高齢者の資産を若い世代に移すよう促す税制上の優遇措置に触れて「金持ちの子どもと、そうでない子どもとの間に大きな格差が生まれる懸念がある」(鬼頭宏・上智大教授)との声が出た。

 もっとも、ピケティ氏の議論がそのまま日本にあてはまるわけではないとの意見もある。大田弘子・政策研究大学院大学教授は「日本の場合、ピケティ氏の問題意識の中心の米国ほどひどい格差はない。政府による所得再分配の必要性だけを教訓として引き出すのは間違いだ」と指摘する。

 ピケティ氏も、公正な競争の結果としての格差は否定していない。経済成長も重視する立場だ。朝日新聞の取材に対し、「私的財産の保護は、個人の自由や経済効率性を高める上で欠かせない。避けなければならないのは、財産が極端に特定の層に集中することだ」と述べた。

 ピケティ氏が、不平等への主な解決策として示したのは、資産が多ければ高率の税を課す「累進課税」だ。この観点から、お金持ちにも貧しい人にも同じ率でかかる消費税の増税には反対姿勢を示した。だが、森信茂樹・中央大大学院教授は「膨れあがる社会保障費を考えれば消費税の引き上げは避けられない」と話す。

 日本の場合は格差拡大の背景として、資産の個人差が大きくなる高齢化や、正社員と非正規社員の処遇の差など労働市場の問題も大きいと指摘される。人口減が急激に進み、年金の負担が世代間で大きく異なることも格差拡大につながりかねないが、ピケティ氏はこうした日本固有の論点には踏み込んでいない。

 それでも、議論を活性化させたのは間違いない。日本の格差に早くから取り組んできた橘木俊詔・京都女子大客員教授は「格差問題への関心が薄れ、議論が沈静化してしまっていたところにピケティ氏の本が出て、論争を再燃させた」と指摘する。(青山直篤、鯨岡仁)

■国会論戦にも波紋 首相、ピケティ人気に警戒感も
 ピケティ人気は政治の世界にも波紋を広げている。

 ピケティ氏にあやかろうとしているのは、アベノミクス批判を展開する民主党だ。長妻昭代表代行が「お会いしたい」と手紙を送り、1月30日には、岡田克也代表ら党幹部とピケティ氏との面会が実現した。

 岡田代表が「かつて1億総中流と言われたが、今はすっかり変わった」と話すと、ピケティ氏は「日本でも富裕層が拡大している。米国ほどではないが、欧州より深刻ではないか」と応じた。民主党は「格差」を国会論戦の最大のテーマに据える。

 安倍晋三首相にはピケティ人気に警戒感もにじむ。

 「ピケティ氏も経済成長を否定していない。しっかり成長して果実がどのように分配されるかが大切だ。成長せずに分配だけを考えればじり貧になる」。1月29日の衆院予算委員会の質疑でピケティ理論を持ち出されると、そう答えた。

 首相は最近、事務方からピケティ氏について解説を受けたという。「反論よりも、国民の恩恵を強調するようにしている」(首相周辺)。2日の参院予算委では、自らの経済政策について、「全体を底上げする政策だ」と力を込めた。 




<朝日の(ひと)コラムより>
朝日の(ひと)コラムがピケティ氏を紹介しています。


2015/02/02不平等の拡大を警告するフランスの経済学者より

 3世紀にわたる歴史研究をもとに、一部の人に富が偏ることに警鐘を鳴らす。地味で分厚い経済書「21世紀の資本」が、世界で150万部のベストセラーになった。

 数学が得意な少年だった。秀才が集まる高等師範学校で数学の修士号を取り、経済学に転じて22歳で博士号を手にした。すぐに米国の大学で教え始めたが、この国で主流の経済学者たちには違和感を持った。「難しい数式で、他人を感心させることばかり気にしている」。2年でパリに戻り、不平等の研究にのめり込んだ。

 若い時に旅した東欧で、共産主義の悲惨さを目撃した。同時に、人々をここに向かわせた資本主義の問題に強い関心を抱いた。「資本主義と不平等の歴史を、曇りのない目で見たい」。それが研究の原点になった。

 本では簡単な数字だけを使い、経済を知りたい人々の思いに応えようとした。でも、成功したのは母のような人が世界中にいたからだと思っている。40代で小学校教師になったが高校は出ていない。学術書はめったに読まないが、この本は理解してくれた。

 処方箋として金持ちへの課税を強化すべきだと言うが、現実的なのか。データの使い方に問題があるのでは。批判も受けたが、動じることはない。「私の本を恐れている人たちがいる。でも、恐れるべきなのは不平等そのものだ」 




<「21世紀の資本」の中国での読まれ方>
アメリカでバカ売れのピケティ著「21世紀の資本」であるが、中国でどう読まれているのか?…吉岡記者のレポートが興味深いのです。

中国でもトマ・ピケティ教授の人気は絶大のようだが・・・
中国での格差拡大は、政治学の範疇であるとピケティ教授は暗に指摘しています。
(中国共産党は、この程度の皮肉は許容するようですね)

11/30「21世紀の資本」論 格差への処方箋、どうつくるより
 アジア太平洋経済協力会議(APEC)に出席する首脳たちが北京に集まっていた11月11日。「明星(スター)」経済学者がパリから上海にやってきた。

 托馬斯・皮凱蒂。パリ経済学校教授のトマ・ピケティさん(43)だ。

 格差の変化や所得の分配と経済成長について、18世紀にまでさかのぼる詳細なデータを駆使して論じた著書「21世紀の資本」は米国から火がつき、ドイツ、韓国などで翻訳版が出て話題を呼んでいる。

 中国語版も9月に発売された。700ページ近い大著の売り上げが20万部に迫る勢いだという。中国は深刻な格差を抱えるうえ、「米国流資本主義の限界を突いた」(大学院生)内容にみえる点も、人気の背景にあるようだ。

 北京を含めた6日間の滞在中、ひっぱりだこだった。空港に着くなり、書店へかけつけサイン会や写真撮影。「講演10回、会見2回、インタビュー10回」(中国誌『南方人物週刊』)。彼の高校生の娘が中国語を学んでいるエピソードも歓迎されている。

 習近平国家主席の母校、北京の清華大での講演をのぞいた。学生ら数百人が講堂を埋めている。ノータイ姿のピケティさんは、先進国のデータを中心に自著の要約を説明し、中国の研究者と討論し、学生から質問をうけた。

 「中国はデータが不足していて、分析が難しい」。そうこぼしつつも、中国の格差縮小の処方箋として、高所得者ほど高い税率を課す累進課税の強化や、不動産や遺産など財産への課税を説いた。

 これに対して、「高い税率は働く気をなくすのではないか」と問いかける学生も。いっぽう、中国の研究者からは、格差を再生産する構造の根深さへの嘆きともとれる指摘が続いた。出稼ぎ労働者の子供の教育への差別、公務員の腐敗による政府のお金の流失やわいろ……。

 「不動産を含めて個人資産への課税は、中国には基本的にない。反対がとても強い」と白重恩・清華大教授は言う。「ビジネスを円滑に進めるにも公務員の助けがいる」とも。政府との距離が富の蓄積に直結する社会なのだ。

 「社会主義」のもと、資産階級がいない前提で財産税がないなかで、特権をてこに財産を積み上げる人がいる――。中国で格差を拡大させる「21世紀の矛盾」の解は、経済学より政治学の範疇なのかもしれない。「政治の民主は必ずや経済の民主とともにやってくる」。ピケティさんは中国語版の序文に、意味深な一文を寄せている。

 日本語版は選挙戦のさなか12月上旬に売り出される。それぞれの「不平等」を映す世界のベストセラーは、日本ではいま、どんな読まれ方をするのだろうか。




<失われた平等を求めて:トマ・ピケティ>
 経済学者、トマ・ピケティさんがインタビューで「競争がすべて?バカバカしい」と説いているので、紹介します。
(トマ・ピケティさんへのインタビューを1/01デジタル朝日から転記しました)


 自由と平等。民主主義の理念のうち、自由がグローバル時代の空気となる一方、平等はしばらく影を潜めていた。だがその間、貧富の差や社会の亀裂は拡大し、人々の不安が高まった。そこに登場したのが大著「21世紀の資本」。不平等の構造をあざやかに描いた著者のトマ・ピケティ教授は「私は悲観していない」という。

■競争がすべて?バカバカしい 平等と資本主義、矛盾しない
Q:あなたは「21世紀の資本」の中で、あまりに富の集中が進んだ社会では、効果的な抑圧装置でもないかぎり革命が起きるだろう、と述べています。経済書でありながら不平等が社会にもたらす脅威、民主主義への危機感がにじんでいます。
A:その通りです。あらゆる社会は、とりわけ近代的な民主的社会は、不平等を正当化できる理由を必要としています。不平等の歴史は常に政治の歴史です。単に経済の歴史ではありません。

 人は何らかの方法で不平等を正そう、それに影響を及ぼそうと多様な制度を導入してきました。本の冒頭で1789年の人権宣言の第1条を掲げました。美しい宣言です。すべての人間は自由で、権利のうえで平等に生まれる、と絶対の原則を記した後にこうあります。『社会的な差別は、共同の利益に基づくものでなければ設けられない』。つまり不平等が受け入れられるのは、それが社会全体に利益をもたらすときに限られるとしているのです。

Q:しかし、その共同の利益が何かについて、意見はなかなか一致しません。
A:金持ちたちはこう言います。『これは貧しい人にもよいことだ。なぜなら成長につながるから』。近代社会ではだれでも不平等は共通の利益によって制限されるべきだということは受け入れている。だが、エリートや指導層はしばしば欺瞞的です。だから本では、政治論争や文学作品を紹介しながら社会が不平等をどうとらえてきたか、にも触れました。
 結局、本で書いたのは、不平等についての経済の歴史というよりむしろ政治の歴史です。不平等の歴史は、純粋に経済的な決定論ではありません。すべてが政治と選択される制度によるのです。それこそが、不平等を増す力と減らす力のどちらが勝つかを決める。

Q:最近は、減らす力が弱まっているのでしょうか。
A:20世紀には、不平等がいったん大きく後退しました。両大戦や大恐慌があって1950、60年代にかけて先進諸国では、不平等の度合いが19世紀と比べてかなり低下しました。しかし、その後再び上昇。今は不平等が進む一方、1世紀前よりは低いレベルです。

 先進諸国には、かなり平等な社会を保障するための税制があるという印象があります。その通りです。このモデルは今も機能しています。しかし、それは私たちが想像しているよりもろい。

 自然の流れに任せていても、不平等の進行が止まり、一定のレベルで安定するということはありません。適切な政策、税制をもたらせる公的な仕組みが必要です。

Q:その手段として資産への累進課税と社会的国家を提案していますね。社会的国家とは福祉国家のことですか。
A:福祉国家よりももう少し広い意味です。福祉国家というと、年金、健康保険、失業手当の制度を備えた国を意味するけれど、社会的国家は、教育にも積極的にかかわる国です。

Q:教育は不平等解消のためのカギとなる仕組みのはずです。
A:教育への投資で、国と国、国内の各階層間の収斂を促し不平等を減らすことができるというのはその通り。そのためには(出自によらない)能力主義はとても大事だとだれもが口では言いますが、実際はそうなっていません。

 米ハーバード大学で学ぶエリート学生の親の平均収入は、米国の最富裕層2%と一致します。フランスのパリ政治学院というエリート校では9%。米国だけでなく、もっと授業料の安い欧州や日本でも同じくらい不平等です。

Q:競争が本質のような資本主義と平等や民主主義は両立しにくいのでしょうか。
A:両立可能です。ただしその条件は、何でもかんでも競争だというイデオロギーから抜け出すこと。欧州統合はモノやカネの自由な流通、完全な競争があれば、すべての問題は解決するという考えに基づいていた。バカバカしい。

 たとえばドイツの自動車メーカーでは労組が役員会で発言権を持っています。けれどもそれはよい車をつくるのを妨げてはいない。権限の民主的な共有は経済的効率にもいいかもしれない。民主主義や平等は効率とも矛盾しないのです。危険なのは資本主義が制御不能になることです。

■国境超え、税制上の公正を 私は楽観主義。解決信じる
Q:税制にしろ社会政策にしろ、国民国家という土台がしっかりしていてこそ機能します。国民国家が相対化されるグローバル時代にはますます難しいのでは。
A:今日、不平等を減らすために私たちが取り組むべき挑戦は、かつてより難しくなっています。グローバル化に合わせて、国境を超えたレベルで税制上の公正を達成しなければなりません。世界経済に対して各国は徐々に小さな存在になっています。いっしょに意思決定をしなければならない。

Q:しかもそれを民主的に進める必要があります。
A:たやすいことではありません。民主主義の運営は、欧州全体という大きな規模の社会よりも、デンマークのような500万人くらいの国での方が容易です。今日の大きな課題は、いかにして国境を超える規模の政治共同体を組織するかという点にあります。

Q:可能でしょうか。
A:たとえば欧州連合(EU)。仏独が戦争をやめ、28ヵ国の5億人が共通の制度のもとで暮らす。そしてそのうちの3億人が通貨を共有する。ユートピア的です。

Q:しかし、あまりうまくいっているようには見えません。
A:ユーロ圏でいうと、18の異なった公的債務に、18の異なった金利と18の異なった税制。国家なき通貨は危なっかしいユートピアです。だから、それらも共通化しなければなりません。

Q:しかし、グローバル化と裏腹に多くの国や社会がナショナリズムにこもる傾向が顕著です。
A:ただ、世界にはたくさんの協力体制があります。たとえば温室効果ガスの削減では、欧州諸国は20年前と比べるとかなり減らしました。たしかにまだ不十分。けれど同時に、協力の可能性も示してもいます。

Q:あなたは楽観主義者ですね。
A:こんな本を書くのは楽観主義の行為でしょう。私が試みたのは、経済的な知識の民主化。知識の共有、民主的な熟議、経済問題のコントロール、市民の民主的な主権、それらによってよりよい解決にたどり着けると考えます。

■民間資産への累進課税、日本こそ徹底しやすい
Q:先進国が抱える巨大な借金も再分配を難しくし、社会の不平等を進めかねません。
A:欧州でも日本でも忘れられがちなことがある。それは民間資産の巨大な蓄積です。日欧とも対国内総生産(GDP)比で増え続けている。私たちはかつてないほど裕福なのです。貧しいのは政府。解決に必要なのは仕組みです。

 国の借金がGDPの200%だとしても、日本の場合、それはそのまま民間の富に一致します。対外債務ではないのです。また日本の民間資本、民間資産は70年代にはGDPの2、3倍だったけれど、この数十年で6、7倍に増えています。

Q:財政を健全化するための方法はあるということですね。
A:日本は欧州各国より大規模で経済的にはしっかりまとまっています。一つの税制、財政、社会、教育政策を持つことは欧州より簡単です。だから、日本はもっと公正で累進的な税制、社会政策を持とうと決めることができます。そのために世界政府ができるのを待つ必要もないし、完璧な国際協力を待つ必要もない。日本の政府は消費税を永遠に上げ続けるようにだれからも強制されていない。つまり、もっと累進的な税制にすることは可能なのです。

Q:ほかに解決方法は?
A:仏独は第2次大戦が終わったとき、GDPの200%ほどの借金を抱えていました。けれども、それが1950年にはほとんど消えた。その間に何が起きたか。当然、ちゃんと返したわけではない。債権放棄とインフレです。

 インフレは公的債務を早く減らします。しかしそれは少しばかり野蛮なやりかたです。つつましい暮らしをしている人たちに打撃をもたらすからです。

Q:デフレに苦しむ日本はインフレを起こそうとしています。
A:グローバル経済の中でできるかどうか。円やユーロをどんどん刷って、不動産や株の値をつり上げてバブルをつくる。それはよい方向とは思えません。特定のグループを大もうけさせることにはなっても、それが必ずしもよいグループではないからです。インフレ率を上昇させる唯一のやり方は、給料とくに公務員の給料を5%上げることでしょう。

Q:それは政策としては難しそうです。
A:私は、もっとよい方法は日本でも欧州でも民間資産への累進課税だと思います。それは実際にはインフレと同じ効果を発揮しますが、いわばインフレの文明化された形なのです。負担をもっとうまく再分配できますから。たとえば、50万ユーロ(約7千万円)までの資産に対しては0.1%、50万から100万ユーロまでなら1%という具合。資産は集中していて20万ユーロ以下の人たちは大した資産を持っていない。だから、何も失うことがない。ほとんど丸ごと守られます。

 インフレもその文明化された形である累進税制も拒むならば大してできることはありません。

     *
Thomas Piketty:1971年フランス生まれ。パリ経済学校教授。米マサチューセッツ工科大学助教授などを経て現職。不平等の拡大を歴史データを分析して示した「21世紀の資本」(邦訳、みすず書房)は世界的な話題に。同書より前に著した論文は、金融資本主義に異議を申し立てた米ウォール街でのオキュパイ運動の支えになったともいわれる。
 
<取材を終えて>
「格差」という名の「不平等」 論説主幹・大野博人

「格差」の問題を語るとき、英語やフランス語ではたいてい「不平等」という言葉を使う。ピケティ氏もインタビューでは「inegalite(不平等)」を繰り返していた。

 同じ状態を指すにしても、「不平等」は、民主主義の基本的な理念である「平等」を否定する言葉でもある。これがはらんでいる問題の広さや深刻さを連想せずにはおれない。
 「不平等」の歴史をたどり、その正体を読み解いて見せた「21世紀の資本」が、経済書という役割にとどまらず、著者自身が述べているように政治や社会について語る書となっていったのは当然かもしれない。また、読者も自分たちの社会が直面する問題の本質をつく説明がそこにあると感じたのではないか。

 同氏は資本主義もグローバル化も成長も肯定する。平等についても、結果の平等を求めているわけではない。ただ、不平等が進みすぎると、公正な社会の土台を脅かす、と警告する。

 そして、平等を確保するうえで必要なのは、政治であり民主主義だと強調する。政治家や市民が意識して取り組まなければ解決しない、というわけだ。

 たとえばインタビューで、フランスが所得税の導入で他国より遅れ、不平等な社会が続いたことを例にあげ、「革命をしただけで十分」と考えて放置してきたからだ、と指摘していた。

 この考えは、財政赤字の解決策としてインフレと累進税制を比較したときにもうかがえた。インフレ期待は、いわば市場任せ。それに対して累進税制も民間の資金を取り込むという点では同じ。だが、だれがどう払うのが公正か、自分たちで議論して考えるという点で、「文明化された」インフレだという。

 つまり、自分たちの社会の行方は、市場や時代の流れではなく自分たちで決める。「文明化」とはそういうことも指すのだろう。

 「不平等」という言葉の含意をあらためて考えながら、日本語の文章での「格差」を「不平等」に置き換えてみる。「男女の格差」を「男女の不平等」に、「一票の価値の格差」を「一票の価値の不平等」に……。

 それらが民主的な社会の土台への脅威であること、そして、その解決を担うのは政治であり民主的な社会でしかないことがいっそう鮮明になる。


失われた平等を求めてトマ・ピケティ2015.1.1

さんの言動には、安部さんも警戒していたそうだが(笑)・・・
この際、ピケティさんについてあれこれ集めてみます。

・安部さんも警戒
・朝日の(ひと)コラムより
・「21世紀の資本」の中国での読まれ方
・失われた平等を求めて
・ゼロのためのピケティ

トマ・ピケティ氏・21世紀の資本



<安部さんも警戒>
来日していたピケティさんの言動には、安部さんも警戒していたそうです。
そのあたりについて朝日の報道を見てみましょう。

2015/02/03ピケティ論争、日本白熱 格差拡大に警鐘「21世紀の資本」 高所得層が強い関心より  
 世界的な格差拡大に警鐘を鳴らす「21世紀の資本」の著者、トマ・ピケティ氏が4日間の日本滞在を終えて帰国した。講演や記者会見、学生とのやりとりを通じて問題の深刻さと解決に向けた取り組みを訴えた。その言葉は、日本の格差論議を揺さぶっている。

 1月30日午後、ピケティ氏は動画配信サイト「ニコニコ生放送」に出演。「成長のために格差は許容すべきか」などの質問に答えた。15分ほどの放送時間に寄せられたコメントは、約6千件。20~30代の若い世代を中心に、録画も含め約1万7千人が視聴した。

 ブームについて、日本語版の訳者の一人、山形浩生氏は「特に所得が上位の層が強い関心を持っているようだ」と指摘する。「これから転落するかも、と思っているのかもしれないし、自分たちだけが富むのはいけないと感じているのかもしれない」

 とりわけ注目されたのが、資産の格差が世襲により固定化するとの主張だ。朝日新聞などが主催したシンポジウムでも、ピケティ氏は「世襲社会が戻ってきている」と訴えた。日本側の登壇者からは、高齢者の資産を若い世代に移すよう促す税制上の優遇措置に触れて「金持ちの子どもと、そうでない子どもとの間に大きな格差が生まれる懸念がある」(鬼頭宏・上智大教授)との声が出た。

 もっとも、ピケティ氏の議論がそのまま日本にあてはまるわけではないとの意見もある。大田弘子・政策研究大学院大学教授は「日本の場合、ピケティ氏の問題意識の中心の米国ほどひどい格差はない。政府による所得再分配の必要性だけを教訓として引き出すのは間違いだ」と指摘する。

 ピケティ氏も、公正な競争の結果としての格差は否定していない。経済成長も重視する立場だ。朝日新聞の取材に対し、「私的財産の保護は、個人の自由や経済効率性を高める上で欠かせない。避けなければならないのは、財産が極端に特定の層に集中することだ」と述べた。

 ピケティ氏が、不平等への主な解決策として示したのは、資産が多ければ高率の税を課す「累進課税」だ。この観点から、お金持ちにも貧しい人にも同じ率でかかる消費税の増税には反対姿勢を示した。だが、森信茂樹・中央大大学院教授は「膨れあがる社会保障費を考えれば消費税の引き上げは避けられない」と話す。

 日本の場合は格差拡大の背景として、資産の個人差が大きくなる高齢化や、正社員と非正規社員の処遇の差など労働市場の問題も大きいと指摘される。人口減が急激に進み、年金の負担が世代間で大きく異なることも格差拡大につながりかねないが、ピケティ氏はこうした日本固有の論点には踏み込んでいない。

 それでも、議論を活性化させたのは間違いない。日本の格差に早くから取り組んできた橘木俊詔・京都女子大客員教授は「格差問題への関心が薄れ、議論が沈静化してしまっていたところにピケティ氏の本が出て、論争を再燃させた」と指摘する。(青山直篤、鯨岡仁)

■国会論戦にも波紋 首相、ピケティ人気に警戒感も
 ピケティ人気は政治の世界にも波紋を広げている。

 ピケティ氏にあやかろうとしているのは、アベノミクス批判を展開する民主党だ。長妻昭代表代行が「お会いしたい」と手紙を送り、1月30日には、岡田克也代表ら党幹部とピケティ氏との面会が実現した。

 岡田代表が「かつて1億総中流と言われたが、今はすっかり変わった」と話すと、ピケティ氏は「日本でも富裕層が拡大している。米国ほどではないが、欧州より深刻ではないか」と応じた。民主党は「格差」を国会論戦の最大のテーマに据える。

 安倍晋三首相にはピケティ人気に警戒感もにじむ。

 「ピケティ氏も経済成長を否定していない。しっかり成長して果実がどのように分配されるかが大切だ。成長せずに分配だけを考えればじり貧になる」。1月29日の衆院予算委員会の質疑でピケティ理論を持ち出されると、そう答えた。

 首相は最近、事務方からピケティ氏について解説を受けたという。「反論よりも、国民の恩恵を強調するようにしている」(首相周辺)。2日の参院予算委では、自らの経済政策について、「全体を底上げする政策だ」と力を込めた。 

成長(安部)か、分配(ピケティ)かということで、ピケティ氏とアベノミクスが対立しているわけだが・・・
最適解は両方の適切なバランスなんでしょうね。



<朝日の(ひと)コラムより>
朝日の(ひと)コラムがピケティ氏を紹介しています。


2015/02/02不平等の拡大を警告するフランスの経済学者より
 3世紀にわたる歴史研究をもとに、一部の人に富が偏ることに警鐘を鳴らす。地味で分厚い経済書「21世紀の資本」が、世界で150万部のベストセラーになった。

 数学が得意な少年だった。秀才が集まる高等師範学校で数学の修士号を取り、経済学に転じて22歳で博士号を手にした。すぐに米国の大学で教え始めたが、この国で主流の経済学者たちには違和感を持った。「難しい数式で、他人を感心させることばかり気にしている」。2年でパリに戻り、不平等の研究にのめり込んだ。

 若い時に旅した東欧で、共産主義の悲惨さを目撃した。同時に、人々をここに向かわせた資本主義の問題に強い関心を抱いた。「資本主義と不平等の歴史を、曇りのない目で見たい」。それが研究の原点になった。

 本では簡単な数字だけを使い、経済を知りたい人々の思いに応えようとした。でも、成功したのは母のような人が世界中にいたからだと思っている。40代で小学校教師になったが高校は出ていない。学術書はめったに読まないが、この本は理解してくれた。

 処方箋として金持ちへの課税を強化すべきだと言うが、現実的なのか。データの使い方に問題があるのでは。批判も受けたが、動じることはない。「私の本を恐れている人たちがいる。でも、恐れるべきなのは不平等そのものだ」 




<「21世紀の資本」の中国での読まれ方>
アメリカでバカ売れのピケティ著「21世紀の資本」であるが、中国でどう読まれているのか?…吉岡記者のレポートが興味深いのです。

ピケティ

中国でもトマ・ピケティ教授の人気は絶大のようだが・・・
中国での格差拡大は、政治学の範疇であるとピケティ教授は暗に指摘しています。
(中国共産党は、この程度の皮肉は許容するようですね)

11/30「21世紀の資本」論 格差への処方箋、どうつくるより
 アジア太平洋経済協力会議(APEC)に出席する首脳たちが北京に集まっていた11月11日。「明星(スター)」経済学者がパリから上海にやってきた。

 托馬斯・皮凱蒂。パリ経済学校教授のトマ・ピケティさん(43)だ。

 格差の変化や所得の分配と経済成長について、18世紀にまでさかのぼる詳細なデータを駆使して論じた著書「21世紀の資本」は米国から火がつき、ドイツ、韓国などで翻訳版が出て話題を呼んでいる。

 中国語版も9月に発売された。700ページ近い大著の売り上げが20万部に迫る勢いだという。中国は深刻な格差を抱えるうえ、「米国流資本主義の限界を突いた」(大学院生)内容にみえる点も、人気の背景にあるようだ。

 北京を含めた6日間の滞在中、ひっぱりだこだった。空港に着くなり、書店へかけつけサイン会や写真撮影。「講演10回、会見2回、インタビュー10回」(中国誌『南方人物週刊』)。彼の高校生の娘が中国語を学んでいるエピソードも歓迎されている。

 習近平国家主席の母校、北京の清華大での講演をのぞいた。学生ら数百人が講堂を埋めている。ノータイ姿のピケティさんは、先進国のデータを中心に自著の要約を説明し、中国の研究者と討論し、学生から質問をうけた。

 「中国はデータが不足していて、分析が難しい」。そうこぼしつつも、中国の格差縮小の処方箋として、高所得者ほど高い税率を課す累進課税の強化や、不動産や遺産など財産への課税を説いた。

 これに対して、「高い税率は働く気をなくすのではないか」と問いかける学生も。いっぽう、中国の研究者からは、格差を再生産する構造の根深さへの嘆きともとれる指摘が続いた。出稼ぎ労働者の子供の教育への差別、公務員の腐敗による政府のお金の流失やわいろ……。

 「不動産を含めて個人資産への課税は、中国には基本的にない。反対がとても強い」と白重恩・清華大教授は言う。「ビジネスを円滑に進めるにも公務員の助けがいる」とも。政府との距離が富の蓄積に直結する社会なのだ。

 「社会主義」のもと、資産階級がいない前提で財産税がないなかで、特権をてこに財産を積み上げる人がいる――。中国で格差を拡大させる「21世紀の矛盾」の解は、経済学より政治学の範疇なのかもしれない。「政治の民主は必ずや経済の民主とともにやってくる」。ピケティさんは中国語版の序文に、意味深な一文を寄せている。

 日本語版は選挙戦のさなか12月上旬に売り出される。それぞれの「不平等」を映す世界のベストセラーは、日本ではいま、どんな読まれ方をするのだろうか。




<失われた平等を求めて:トマ・ピケティ>
 経済学者、トマ・ピケティさんがインタビューで「競争がすべて?バカバカしい」と説いているので、紹介します。
ピケティ
(トマ・ピケティさんへのインタビューを1/01デジタル朝日から転記しました)


 自由と平等。民主主義の理念のうち、自由がグローバル時代の空気となる一方、平等はしばらく影を潜めていた。だがその間、貧富の差や社会の亀裂は拡大し、人々の不安が高まった。そこに登場したのが大著「21世紀の資本」。不平等の構造をあざやかに描いた著者のトマ・ピケティ教授は「私は悲観していない」という。

■競争がすべて?バカバカしい 平等と資本主義、矛盾しない
Q:あなたは「21世紀の資本」の中で、あまりに富の集中が進んだ社会では、効果的な抑圧装置でもないかぎり革命が起きるだろう、と述べています。経済書でありながら不平等が社会にもたらす脅威、民主主義への危機感がにじんでいます。
A:その通りです。あらゆる社会は、とりわけ近代的な民主的社会は、不平等を正当化できる理由を必要としています。不平等の歴史は常に政治の歴史です。単に経済の歴史ではありません。

 人は何らかの方法で不平等を正そう、それに影響を及ぼそうと多様な制度を導入してきました。本の冒頭で1789年の人権宣言の第1条を掲げました。美しい宣言です。すべての人間は自由で、権利のうえで平等に生まれる、と絶対の原則を記した後にこうあります。『社会的な差別は、共同の利益に基づくものでなければ設けられない』。つまり不平等が受け入れられるのは、それが社会全体に利益をもたらすときに限られるとしているのです。

Q:しかし、その共同の利益が何かについて、意見はなかなか一致しません。
A:金持ちたちはこう言います。『これは貧しい人にもよいことだ。なぜなら成長につながるから』。近代社会ではだれでも不平等は共通の利益によって制限されるべきだということは受け入れている。だが、エリートや指導層はしばしば欺瞞的です。だから本では、政治論争や文学作品を紹介しながら社会が不平等をどうとらえてきたか、にも触れました。
 結局、本で書いたのは、不平等についての経済の歴史というよりむしろ政治の歴史です。不平等の歴史は、純粋に経済的な決定論ではありません。すべてが政治と選択される制度によるのです。それこそが、不平等を増す力と減らす力のどちらが勝つかを決める。

Q:最近は、減らす力が弱まっているのでしょうか。
A:20世紀には、不平等がいったん大きく後退しました。両大戦や大恐慌があって1950、60年代にかけて先進諸国では、不平等の度合いが19世紀と比べてかなり低下しました。しかし、その後再び上昇。今は不平等が進む一方、1世紀前よりは低いレベルです。

 先進諸国には、かなり平等な社会を保障するための税制があるという印象があります。その通りです。このモデルは今も機能しています。しかし、それは私たちが想像しているよりもろい。

 自然の流れに任せていても、不平等の進行が止まり、一定のレベルで安定するということはありません。適切な政策、税制をもたらせる公的な仕組みが必要です。

Q:その手段として資産への累進課税と社会的国家を提案していますね。社会的国家とは福祉国家のことですか。
A:福祉国家よりももう少し広い意味です。福祉国家というと、年金、健康保険、失業手当の制度を備えた国を意味するけれど、社会的国家は、教育にも積極的にかかわる国です。

Q:教育は不平等解消のためのカギとなる仕組みのはずです。
A:教育への投資で、国と国、国内の各階層間の収斂を促し不平等を減らすことができるというのはその通り。そのためには(出自によらない)能力主義はとても大事だとだれもが口では言いますが、実際はそうなっていません。

 米ハーバード大学で学ぶエリート学生の親の平均収入は、米国の最富裕層2%と一致します。フランスのパリ政治学院というエリート校では9%。米国だけでなく、もっと授業料の安い欧州や日本でも同じくらい不平等です。

Q:競争が本質のような資本主義と平等や民主主義は両立しにくいのでしょうか。
A:両立可能です。ただしその条件は、何でもかんでも競争だというイデオロギーから抜け出すこと。欧州統合はモノやカネの自由な流通、完全な競争があれば、すべての問題は解決するという考えに基づいていた。バカバカしい。

 たとえばドイツの自動車メーカーでは労組が役員会で発言権を持っています。けれどもそれはよい車をつくるのを妨げてはいない。権限の民主的な共有は経済的効率にもいいかもしれない。民主主義や平等は効率とも矛盾しないのです。危険なのは資本主義が制御不能になることです。

■国境超え、税制上の公正を 私は楽観主義。解決信じる
Q:税制にしろ社会政策にしろ、国民国家という土台がしっかりしていてこそ機能します。国民国家が相対化されるグローバル時代にはますます難しいのでは。
A:今日、不平等を減らすために私たちが取り組むべき挑戦は、かつてより難しくなっています。グローバル化に合わせて、国境を超えたレベルで税制上の公正を達成しなければなりません。世界経済に対して各国は徐々に小さな存在になっています。いっしょに意思決定をしなければならない。

Q:しかもそれを民主的に進める必要があります。
A:たやすいことではありません。民主主義の運営は、欧州全体という大きな規模の社会よりも、デンマークのような500万人くらいの国での方が容易です。今日の大きな課題は、いかにして国境を超える規模の政治共同体を組織するかという点にあります。

Q:可能でしょうか。
A:たとえば欧州連合(EU)。仏独が戦争をやめ、28ヵ国の5億人が共通の制度のもとで暮らす。そしてそのうちの3億人が通貨を共有する。ユートピア的です。

Q:しかし、あまりうまくいっているようには見えません。
A:ユーロ圏でいうと、18の異なった公的債務に、18の異なった金利と18の異なった税制。国家なき通貨は危なっかしいユートピアです。だから、それらも共通化しなければなりません。

Q:しかし、グローバル化と裏腹に多くの国や社会がナショナリズムにこもる傾向が顕著です。
A:ただ、世界にはたくさんの協力体制があります。たとえば温室効果ガスの削減では、欧州諸国は20年前と比べるとかなり減らしました。たしかにまだ不十分。けれど同時に、協力の可能性も示してもいます。

Q:あなたは楽観主義者ですね。
A:こんな本を書くのは楽観主義の行為でしょう。私が試みたのは、経済的な知識の民主化。知識の共有、民主的な熟議、経済問題のコントロール、市民の民主的な主権、それらによってよりよい解決にたどり着けると考えます。

■民間資産への累進課税、日本こそ徹底しやすい
Q:先進国が抱える巨大な借金も再分配を難しくし、社会の不平等を進めかねません。
A:欧州でも日本でも忘れられがちなことがある。それは民間資産の巨大な蓄積です。日欧とも対国内総生産(GDP)比で増え続けている。私たちはかつてないほど裕福なのです。貧しいのは政府。解決に必要なのは仕組みです。

 国の借金がGDPの200%だとしても、日本の場合、それはそのまま民間の富に一致します。対外債務ではないのです。また日本の民間資本、民間資産は70年代にはGDPの2、3倍だったけれど、この数十年で6、7倍に増えています。

Q:財政を健全化するための方法はあるということですね。
A:日本は欧州各国より大規模で経済的にはしっかりまとまっています。一つの税制、財政、社会、教育政策を持つことは欧州より簡単です。だから、日本はもっと公正で累進的な税制、社会政策を持とうと決めることができます。そのために世界政府ができるのを待つ必要もないし、完璧な国際協力を待つ必要もない。日本の政府は消費税を永遠に上げ続けるようにだれからも強制されていない。つまり、もっと累進的な税制にすることは可能なのです。

Q:ほかに解決方法は?
A:仏独は第2次大戦が終わったとき、GDPの200%ほどの借金を抱えていました。けれども、それが1950年にはほとんど消えた。その間に何が起きたか。当然、ちゃんと返したわけではない。債権放棄とインフレです。

 インフレは公的債務を早く減らします。しかしそれは少しばかり野蛮なやりかたです。つつましい暮らしをしている人たちに打撃をもたらすからです。

Q:デフレに苦しむ日本はインフレを起こそうとしています。
A:グローバル経済の中でできるかどうか。円やユーロをどんどん刷って、不動産や株の値をつり上げてバブルをつくる。それはよい方向とは思えません。特定のグループを大もうけさせることにはなっても、それが必ずしもよいグループではないからです。インフレ率を上昇させる唯一のやり方は、給料とくに公務員の給料を5%上げることでしょう。

Q:それは政策としては難しそうです。
A:私は、もっとよい方法は日本でも欧州でも民間資産への累進課税だと思います。それは実際にはインフレと同じ効果を発揮しますが、いわばインフレの文明化された形なのです。負担をもっとうまく再分配できますから。たとえば、50万ユーロ(約7千万円)までの資産に対しては0.1%、50万から100万ユーロまでなら1%という具合。資産は集中していて20万ユーロ以下の人たちは大した資産を持っていない。だから、何も失うことがない。ほとんど丸ごと守られます。

 インフレもその文明化された形である累進税制も拒むならば大してできることはありません。

     *
Thomas Piketty:1971年フランス生まれ。パリ経済学校教授。米マサチューセッツ工科大学助教授などを経て現職。不平等の拡大を歴史データを分析して示した「21世紀の資本」(邦訳、みすず書房)は世界的な話題に。同書より前に著した論文は、金融資本主義に異議を申し立てた米ウォール街でのオキュパイ運動の支えになったともいわれる。
 
<取材を終えて>
「格差」という名の「不平等」 論説主幹・大野博人

「格差」の問題を語るとき、英語やフランス語ではたいてい「不平等」という言葉を使う。ピケティ氏もインタビューでは「inegalite(不平等)」を繰り返していた。

 同じ状態を指すにしても、「不平等」は、民主主義の基本的な理念である「平等」を否定する言葉でもある。これがはらんでいる問題の広さや深刻さを連想せずにはおれない。
 「不平等」の歴史をたどり、その正体を読み解いて見せた「21世紀の資本」が、経済書という役割にとどまらず、著者自身が述べているように政治や社会について語る書となっていったのは当然かもしれない。また、読者も自分たちの社会が直面する問題の本質をつく説明がそこにあると感じたのではないか。

 同氏は資本主義もグローバル化も成長も肯定する。平等についても、結果の平等を求めているわけではない。ただ、不平等が進みすぎると、公正な社会の土台を脅かす、と警告する。

 そして、平等を確保するうえで必要なのは、政治であり民主主義だと強調する。政治家や市民が意識して取り組まなければ解決しない、というわけだ。

 たとえばインタビューで、フランスが所得税の導入で他国より遅れ、不平等な社会が続いたことを例にあげ、「革命をしただけで十分」と考えて放置してきたからだ、と指摘していた。

 この考えは、財政赤字の解決策としてインフレと累進税制を比較したときにもうかがえた。インフレ期待は、いわば市場任せ。それに対して累進税制も民間の資金を取り込むという点では同じ。だが、だれがどう払うのが公正か、自分たちで議論して考えるという点で、「文明化された」インフレだという。

 つまり、自分たちの社会の行方は、市場や時代の流れではなく自分たちで決める。「文明化」とはそういうことも指すのだろう。

 「不平等」という言葉の含意をあらためて考えながら、日本語の文章での「格差」を「不平等」に置き換えてみる。「男女の格差」を「男女の不平等」に、「一票の価値の格差」を「一票の価値の不平等」に……。

 それらが民主的な社会の土台への脅威であること、そして、その解決を担うのは政治であり民主的な社会でしかないことがいっそう鮮明になる。


失われた平等を求めてトマ・ピケティ2015.1.1



<ゼロのためのピケティ>
ピケティ


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